剛健コンビ伝説!ジュニア時代から全盛期や氷河期などのエピソード

どうも。イケメンアイドル研究室、室長のsakuraです。

今日は伝絶の剛健コンビのエピソードを纏めました。

ジャニーズジュニアで初めての単独コンサートを成し遂げたのが剛健コンビです。

のちに滝沢秀明さんことタッキーなど80年代のジュニア黄金期が続きますが、剛健コンビがその土台を作ったともいえます。

伝説の剛健コンビとは?

V6の森田剛さん、三宅健さんのお2人です。
V6とは2021年11月1日に解散したグループでメンバーは、坂本昌行さん、長野博さん、井ノ原快彦さんの「トニセン」と呼ばれる「20th Century」と、森田剛さん、三宅健さん、岡田准一さんの「カミセン」と呼ばれる「Coming Century」の6人です。

その中でも特に森田さんと三宅さんはジュニア時代から仲が良く、お2人の名前「剛」と「健」を取って「剛健コンビ」と呼ばれていました。

解散した今でもそう呼ばれており、今も尚ファンの間では色あせることなく剛健コンビは健在です。

お名前 森田剛(もりた ごう) 三宅健(みやけ けん)
お誕生日 1979年2月20日 1979年7月2日
出身地 埼玉県 神奈川県
身長 163cm 164cm
血液型 A型 O型
入所年月日 1992年(日にち不明) 1993年5月4日

 

剛健コンビ伝説のジュニア時代

ジュニア時代の森田さんは、なかなか周りに馴染むことが出来ず1人でいることが多かったそうです。

1人でいることが多かった森田さんが三宅さんと話すようになったキッカケは、森田さん曰く三宅さんが「なぜか三宅がいろいろ伝えにきてくれたり、電話をしてきたりした」そうです。

そして三宅さんは事務所に入って初めに仲が良くなったのは森田さんだと仰っているそうです。
三宅さんが積極的に森田さんとコミュニケーションをとっていったから、森田さんが心を開いてくれたのかもしれませんね。

しばらくして、お2人はシンメを組みました。
SMAPやKinki Kidsのバックとして踊っていくうちに、爆発的な人気コンビとなり、ファンの間で「剛健コンビ」と呼ばれるようになりました。

当時のジャニーズジュニアは表舞台に出ることがなく、影の存在で研修生のような位置でした。
そんな中、剛健コンビの人気は凄まじくジャニーズジュニアとして初めてのジュニア単体でのコンサート「夏だ!祭りだ!ジャニーズJrカー二バル」を新高輪プリンスホテルの飛天の間で行われ、お2人がメインボーカルを務めました。

そしてその年の「ファンが選ぶジュニアで恋人にしたいランキング」で2人は異例の同率一位となりました。
岡田准一さんはお2人のことを「ジャニーズJr.をひとつのブランドとして確立させたのがこの二人だ」と仰っているそうです。

このような偉業を成し遂げたお2人だからこそ、入所してから約2年でV6としてデビューという実績を持っていらっしゃるんだと思います。
まさに森田さんと三宅さんはジャニーズジュニアの人気を確立した先駆者であり伝説のコンビですね。本当に凄いお2人です。



剛健コンビの全盛期はいつ?

全盛期は、V6がデビューした1995年~2000年代前半だと言われているそうです。
デビューシングルの「MUSIC FOR THE PEOPLE」は、バレーボールワールドカップのイメージソングに起用されました。

V6の起用以降、バレーボールワールドカップのイメージソングは、ジャニーズのアイドルが起用されることが恒例となりました。

全盛期だと言われている頃にリリースしたシングルの発売日、タイトル、売上枚数をまとめました。

発売日 シングル名 売上枚数
1995年11月1日 MUSIC FOR THE PEOPLE 52.7万枚
1996年2月14日 MADE IN JAPAN 45.8万枚
1996年5月29日 BEAT YOUR HEART 37.1万枚
1996年9月16日 TAKE ME HIGHER 38.1万枚
1997年1月20日 愛なんだ 58.4万枚
1997年04月3日 本気がいっぱい 38.1万枚
1997年7月9日 WAになっておどろう 52.2万枚
1997年11月6日 GENERATION GAP 35.0万枚
1998年3月11日 Be Yourself! 30.5万枚
1998年7月15日 翼になれ 22.7万枚
1998年11月11日 over/EASY SHOW TIME 45.2万枚
1999年3月31日 Believe Your Smile 36.0万枚
1999年5月12日 自由であるために 21.3万枚
1999年7月14日 太陽のあたる場所 32.7万枚
2000年2月2日 MILLENNIUM GREETING 35.1万枚
2000年5月10日 IN THE WIND 15.5万枚
2000年10月25日 CHANGE THE WORLD 27.7万枚
2001年2月28日 愛のMelody 15.6万枚
2001年6月20日 キセキのはじまり/SHODO 13.8万枚
2001年8月29日 出せない手紙 23.9万枚
2002年6月12日 Feel your breeze/one 19.7万枚
2003年3月19日 メジルシの記憶 7.6万枚
2003年5月28日 Darling 20.6万枚

こうして一覧にしてみると、全盛期と言われる頃の歌は全て知っていますね。
その頃の三宅さんは、テレビドラマの主演作が放送されたり、レギュラー出演していた「伊東家の食卓」が高視聴率を記録し、森田さんもNHK大河ドラマ「毛利元就」に出演したり、「24時間テレビ」ではチャリティーマラソンのランナーを務め、100㎞を完走しました。
歴代最年少ランナーとして大きな話題にもなったそうで、剛健コンビは全盛期だったそうです。

森田さんが出演していた「小枝→”こえだ”を”こわざ”」と読み間違える「小枝」のCMが大流行したのもこの頃ですね。

剛健コンビに氷河期はあるの?!

剛健コンビの氷河期について調べましたが、そういうエピソードはありませんでした。

仲良しエピソードは沢山ありますが、氷河期については一切なく、2人は本当に仲が良く深い絆で結ばれているのだと推測します。

それを裏付けるような剛健コンビのエピソードがありました。
森田さんが三宅さんのことを駐車場と仰ったそうです。

健は、俺にとって駐車場みたいなもの。俺が何処かに行ってても絶対に俺のスペースを空けててくれるの。俺はそこから出ることもあるけど、必ず戻ってくる。そんな場所が健だね。【Mannish】

やはり剛健コンビに氷河期時代は無さそうですね。



やっぱり仲良し!剛健コンビのエピソード①V6誕生秘話

剛健コンビの仲良しエピソードは沢山ありすぎるので、ここでは4つご紹介します。

・V6結成時の有名な秘話
三宅さんがV6結成時、事務所の社長さんからデビューの打診をされた際に「剛は?」と聞き、社長さんが「いないよ」と言ったら「剛がいないんだったらやらない」と言い、社長さんから「剛がいたら1番になれないよ」と言ったそうですが、三宅さんは「それでもいい」と言ったそうです。

三宅さんにとっては、自分の人気どうこうよりも森田さんが大切だったんですね。
剛健コンビが尊いと言われるのが分かりますよね。

三宅の口から、新たな結成秘話が語られたのです。

三宅によれば「ジャニーさんから直接『V6やらない?』って言われて。

『剛は入らないの?』って聞いたら、『入らない』ってジャニーさんが言ってて。『じゃあやりたくない』って言って」と駄々をこねたことを明かします。

「まずこの人(森田)が入って、『じゃあどうしようか』みたいな話で」と、三宅はとにかく森田ありき。

三宅のこの発言がなければ、V6の森田剛は存在しなかったかもしれません。

やっぱり仲良し!剛健コンビのエピソード②名古屋公演延泊

・2013年V6の全国ツアー『Oh!My!Goodness!』

このツアーの名古屋公演後、剛健コンビは延泊し、他のメンバーは東京に帰ったそうです。
三宅さんが当時のラジオ番組で、剛健コンビで延泊し名古屋の夜を楽しむつもりでしたが、遅い時間だったため、お茶をしてホテルに戻ったそうで、2人で「Mr.延泊」「Mr.連泊」というようなあだ名をつけ合って楽しんでいたと明かしたそうです。

翌日は2人で食事をしようと名古屋駅ビルに行き、うどん屋さんを見つけたのに「もうちょっと周ってみよう」と駅ビル内を見て、再びうどん屋さんに戻ったら、行列ができてしまっていたそうです。
それを見て森田さんが三宅健さんに「ほら見ろ、さっき並んでおけばよかったじゃないか」と言ったのがキッカケで、子供のような言い争いをしてしまったようです。
その後入ったインドカレー屋さんで、インド人の店員さんに「カラクナイ?」と聞かれ、2人で「まだ食べてねーから」とハモって返答をしてしまったそうです。
さすが仲良しな剛健コンビ、微笑ましいエピソードですよね。

そして新幹線の時間を気にする三宅さんに対して森田さんが「大丈夫だよ」と言ったのに、三宅さんは気になって落ち着かず、その様子を見て森田さんが「お前が焦ってるから」という理由で早めの行動をしてくれたそうです。

とても仲良よしてお互いを想い合ってる剛健コンビのエピソードは、どれを聞いても幸せにしてくれますよね。

やっぱり仲良し!剛健コンビのエピソード③森田剛のお誕生日

三宅さんは森田さんのお誕生日には毎年お祝いの連絡をしているそうです。仲良しですよね。

三宅は、森田の誕生日に毎年お祝いの電話をかけているが、一度やめた時期があったそうで、その時に森田から「やるんなら一生やれよ」と要求されたという。

森田は「そういえばここ何年かこないなと思って、急にさみしくなっちゃって」と振り返り、「去年から復活した」と笑った。

 

尊い剛健コンビのエピソード④三宅健が滝沢歌舞伎で骨折したとき

三宅さんは2016年に、滝沢秀明さんが座長を務めた「滝沢歌舞伎」に出演した際に、初日から2日後の公演中に右足の親指を骨折したそうです。

その時に森田さんが、三宅さんが骨折して約1週間後に公演を観に行ったそうです。

通常なら公演が始まるギリギリに会場に入る森田さんが、その日は30分前に会場に到着し、三宅さんの楽屋を訪れたそうで、全治3か月の骨折していた三宅さんを目の前に森田さんは「お前の踊りを見に来たんだから踊れよ」と仰ったそうで、三宅さんはその日から、骨折してから変更していた振りを全て初日の振りに戻したそうです。

のちにテレビ番組の中で三宅さんは「あいつは、もしこうなったら足がちぎれても踊るやつだから、わかったと。その言葉にエネルギーをもらって踊れた」 と仰っていたそうで、剛健コンビの尊さに感動するエピソードの1つですよね。

三宅が出演舞台で骨折した際に、いつもは舞台を見に来ない森田が駆けつけたエピソードも明かされた。

その時、森田は「お前の踊りを見に来たんだから踊れよ」と励ましたそうで、三宅は「あいつももしこうなったら足がちぎれても踊るやつだから、わかったと。その言葉にエネルギーをもらって踊れた」と当時の思いを明かした。

 

三宅は、公演中の大ケガが24年のアイドル人生最大の危機だったと告白。

2016年、滝沢歌舞伎の公演3日目に右足の親指を骨折したが、その後も出演して千秋楽まで完走したという。

 

当時の状況を、三宅は「フライングの演出があって、転落しちゃって…」と説明。

当初は演目を少し変更したそうだが、観劇に来たV6メンバーの森田剛から「お前の踊りを見に来たんだよ。踊れよ」と言われ、三宅は「その日から(演目を)全部戻そうと。足はどうなっても良いやって…。

その言葉がなかったらセーブしながらやっていたかもしれない」と裏話を明かす。



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